Amor Fati
愛するということは、あの決して始まらず、そして決して終わらない空間の内に身をゆだねることだ。
二つの熱源が手のひらのうちで溶け合い、永遠の交感が・・・そして同時にその感覚自体、自分のものではないと感じられる「交感の溶解」が生じるあの空間の内に身をゆだねることだ。
『愛しているという言葉は常に、そして永遠に、繰り返し発され続けている。』
・・・そして必ず、不安のうちに「愛している」という言葉が発せられる。
言葉では言いえぬあの溶解を、何とかしてこの世につなぎとめておくために。
それは永遠に、繰り返し発され続けているのだ。
あの空間のうちにおいて言葉は、何らかの事実の確認ではなく、思いの確認でもない。
それは逃れ去ってゆくものを捕えようとする無意味な呪文であって、それ自体無駄な抵抗であることを自覚した個体の、極限的な不安の表明ですらある。
「愛している」という言葉は、個体の内に限定された存在が、無限の存在への望みなき渇望をあらわにした、決して聞き届けられることのない叫び声なのだ。
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